【アドラー】人に迷惑をかけてはいけないのか?怒りは悪なのか?【課題の分離】

一般的に自己中心的である事は悪い事だとされる。

人に迷惑をかけてはいけないだとか。

もっともらしい綺麗な言葉を使って、至る所で「偽善」が叫ばれている。

「戦争反対」「人にやさしくするべき」「思いやり」

その本質を辿れば、偽善をかざした対人操作が目的であったりする。

本質的にどの人間も究極の目標は「生存」なのである。

どの言動も。

ネット上に溢れる、あらゆる言葉も。

大本を辿って行けば「自己の生存」という極めて自己中心的な本質に辿り着く。

生きていれば、様々な人間がその本質を覆いかぶした「綺麗事」「プロパガンダ」をもっともらしく語りかけてくる。

所詮、その綺麗な言葉を言った張本人も自身の利害の本質に関わる部分に触れられれば「自己の生存」の為の醜い自己中心的な実態を露呈しなければならなくなるのである。

どんな人間も例外は無いと思う。

それが例えガンジーだろうと。

本質的に人間関係はここの利害関係のぶつかりあいにある。

綺麗な言葉にそそのかされて、その綺麗な言葉を真に受けた瞬間に「相手の生存の為にあなたが犠牲になった」のである。

あなたは、この世に生物として生まれてきたからには、生存を第一目標にしなければならない。

対人関係で上手くやらなければならない。

嫌われてはならない。

上記それその物が目標化された時、あなたは完全に外界に心を支配される事になる。

あくまで、上記は「生存の為の手段であって目的ではない」のである。

その前提を覆す何かを自分の中で受け入れてしまった時に、あなたは心の病の世界へと近づいてしまう事になる。

思いやりも、博愛もあなたが選んだ「生存戦略」なのである。

「人に迷惑をかけてはいけない」とプレッシャーをかけてくるのはあなたの生存戦略ではなく、他者の生存の為だ。

「人に迷惑をかけない」事があなたの生存になってプラスになるのならば、それを手段として選択すればいいだけの事である。

「人に迷惑をかけない」事そのものを目的化したら、それは泥沼にしかならない。

心が混乱した時こそ、この大前提に戻る事が自分を救う事になる。

あらゆる膨大な意見や情報が世の中には存在する。

その表面上の言葉じりしか捉えられなければ、情報を発信した人間の餌食になるだけだ。

アドラー心理学に「課題の分離」という考え方がある。

人間一人一人人生の課題を抱えている。

自分の課題に他者を侵略させてはならないし、相手の課題に侵略してはならない。

それが人間関係の悩みを解決するコツであると。

基本的には私もこの考え方は賛成だ。

賛成だが、違和感はある。

それが上記の内容と直結している。

アドラー心理学的には課題の分離の視点から他人に迷惑をかけてはならんという事になる。

そりゃ、無理よねっていう。

どの人間も自身の目的が生存である以上、他者をコントロールする事は重要だからだ。

コントロールされた側は心を病んでしまうが、コントロールを仕掛けた側はそれが有効な生存戦略の一つだと知っているのである。

怒りが良くないという言説に対してもこの視点から違和感を感じる。

怒りとコントロールは密接な関係があると思う。

怒りをぶつけられた側が「大人の対応」をし続ければ、相手の侵略を許してしまうという事になる。

対人関係において怒りが介在した瞬間に、それは利害がぶつかりあっているわけだから。

利害が対立している状況下で「相手の思い通りにならない」という事を相手に学習させなければならない。

怒りをぶつけられ、怒りで返す。

そこでようやく、相手と自分は対等になるのである。

そういう意味で「喧嘩」は大切な意味を持っていると思っている。

必要なのは、怒りをベースにした反応を返す事が「あなたの生存にとってプラスになるかマイナスになるかの判断」だけである。

あらゆる怒りに正当性が無いという言説には上記の視点から違和感を感じる。

 

 

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